秘密儀軌ツアー 一ー26ーc10

 十巡目の三
 niftyココログからのつづき

 六月三日(二十日目)は仕組みの会の研究会であったため、佐田が一日中こちらの仕事に追われていたことと、夜になってからは別の関心事に時間のほとんどを奪われたため、ナポレオンの四十九日行がおろそかになってしまった。その日は術界の芸術領域へ行ったはずであったが、アメリアは興味を示していたが、ナポレオンはほとんど無関心であったこともあって、こちらはあちらの導師方にお任せして、自分の生活レベルのことに専念したのだった。
 それが悪かったのであろう、その夜は仕組み全体が混乱状態となり、そのあおりを受けてナポレオン組も支離滅裂になってしまったため、夜中に起こされて調整することになったのだった。その過程で富士山にある佐田の幽界の私有地に問題があると感じられたので、その場所を移すことにしたのだった。だいたい河口湖の浅間神社の背後にあるその拠点は、元々佐田には無断で作られたもので、事後承諾の形のまま、ほかの拠点が全部解消されたあとも、どうしても必要だからということで残されていたものだった。そこに何があるのかすらほとんど知らないものであったため、仕組みがここまで進んだ段階では不適格なものになっていると思われた。総合先導役の私有地というものが仕組みに必要であるのなら、改めて必要な場所にそれを確保しましょう、そういうことになって、改めて佐田の私有地を幽界に確保することになっていったのだった。
 そして、日本に十か所、世界に五十か所、太陽系に五百か所の佐田の私有地が、公共的なものとして確保されたのだった。それを佐田の公共私有地と呼ぶことにしている。自分のものではほとんどないからである。そして富士山のものは、佐田宇宙のはじめ宇宙が対応している、忍野の浅間神社の周辺の幽界に移されることになったのだった。

                     続きはエキサイトブログへ。